ふっざけんな、ば~か!!
・・・はい、すみません。
標題を真面目なものにしましたが、ただの私の愚痴です(笑)
いやぁ、先日メールでやり取りしていた女性との口論で、未だにハラワタが煮えくり返ってます(# ゚Д゚)
皆さんのお目汚しになって申し訳ないんですが、雑談ということで書かせていただきます汗
まぁ、事の発端は私が悪いんですが(笑)
本筋から逸れそうなので詳細は書かないでおきます汗
で、私はその方から散々な言われようだったんですが、そこはいいとして
(いいんかい!!(笑))
私の怒りは一言でいえば、
その人が稚拙な思考で私の人となりを分析して、それをあたかも真実であるかのように思い込んでしまっている
ところにあります。
多分、これは私の性格というか生きてきた環境によるものだと思います。
私は理系の人間なので
事実→仮説→検証→考察→仮説→検証→考察→仮説・・・
つまり、事実を基に仮説を立てて、それを検証し、検証結果を考察して仮説と一致している部分とそうでない部分を詳らかにして、一致していない部分は別の仮説を立て、検証して・・・
というサイクルが普通だと思っているし、ビジネスを進める上でもこのサイクルが成功の明暗を分けると思っています。
翻って考えると、
仮説を立てるだけ立てて、それをろくに検証もせずにあたかも真実であるかのように分析する(バイアスをかける)
というのはすごく稚拙だと思うし、ナンセンスだと思っています。
具体的には
あなたは●●な人間だという印象を受けました。そういう人はNGです。
みたいなことを言ってくる人に対して
それはただの印象論で間違っていますよ。
この反論に対して
間違っているっていう決めつけは、話聞かない人なんだなぁと思いました。
と。
はぁ?
印象論、すなわち仮説は間違っている可能性を孕むもので、その検証は心理テストをするのでもない限りはその人に直接話を聞くしかないですよね。
その「話聞かない人」という印象こそ決めつけだと思うし、その決めつけができる(正しい)と思っているということは自分の思考が正しいと思っているということだと思うんですよ。
そこに反論するから「話聞かない人」と。
ではその思考は正しいんですか?あるいは正しいと思わせられる蓋然性はありますか?
というと、ないんですよね。
あまり文章も上手くなく、話し言葉をそのまま言語化しているような文章なので支離滅裂ですし、5回くらい読み返さないと理解できないような文章でした。
(文章のまずさに関しては私も同じようなものですけどね・・・(笑))
そこから鑑みるにその思考は正しいとは限らないし、その分析も稚拙な思考に基づいた分析であると。
別に分析が間違っていることに関しては何とも思っていないんですよ。
論理的に正しければ
「あぁ、なるほど、その分析は違うけど、確かにそういう見方もできますね」
と納得できるので。
でもその論理を展開するにはファクトに基づいた仮説とその仮説を立証するための検証が必要ですよね?
加えて言えば、
話聞かない人
だの
人のこと見下している
だの言っている割に、
「あなたはこういう人ですよね」
と分析して、そこに反論しようものならこちらの反論を封じた上で「話聞かない」って
なんだかそっくりそのままオコトバを返して差し上げたいなぁって
とまぁ愚痴はこのくらいにして、なぜこんな不毛な(笑)やり取りが生じてしまったのかを検証して、これを反面教師としていただくべく、ツラツラと書いております。
多分、今回はメールというテキストベースのツールだったことが原因だと思います。
彼女は「冷静に」「軽く」と言っていましたが、声色や言い方が判然としないため軽く言っているのかキツく言っているのか分からないところでお互いに感情的になった部分があったかなと分析しています。
加えて、お互いに譲らなかったことも原因だったかなと。
多分彼女はプライドが高い方で、それはおそらく私も同様かなと。
ただ、それを私が理解しているということを彼女が理解できていなかったために話が拗れたのかなと思います。
この場合は、対話を積み重ねながらお互いの思考力を様子見して、出るところは出る、引くところは引くというメリハリが必要だったと思いますが、勝手な分析をしたり上から目線に見えてしまったりでお互いに感情的になって冷静な対話ができなくなってしまいました。
それを回避するために
「テキストベースではなく対面で対話しましょう」
と言いましたが、にべもなかったので、結局互いに落としどころが見つからずにわだかまりを残したまま終わりました。
そもそも、コミュニケーションとは相互理解の方法です。
相手の主張を理解して、自分の主張を相手に理解してもらう。
そのためには、使っているツールの特性を十分に理解した上でその特性に見合ったコミュニケーションをとらなければ相互理解はできません。
例えば、今回のケースのようなテキストベースだと(Twitterとかでも同じだと思いますが。。。)、
・無駄のない日本語で
・レイアウトを揃えて
・感情ではなく、事実で
とするだけで、読んでいる側の読解力をフルで活用できると思います。
反面、この表面的な部分が雑だと、言っていることがまともでも、文章を読むだけで相当な脳のリソースが使われてしまい、肝心の読解の方まで脳が回らずに、ツマラナイ誤解を招いてしまうことにもつながりかねません。
一方で、例えば対話の場合はそこまで正しい日本語にこだわる必要はない代わりに
・無駄のない論理構成で
・適切な声量で
・抑揚(強弱)をつけて
とすると、聞いている側の思考力をフルで活用できると思います。
反面、この部分が雑だと、例えば「声が小せぇんだよ」みたいなツマラナイ部分で引っ掛かり、肝心の内容までたどり着かないことが考えられます。
そして、肝心の本筋の部分。
最も説得力のある主張は何でしょうか?
それはエビデンスに基づいた見解です。
A:私はこう思います。その(数値的)根拠はこうです。
B:私はこう思います。今までの経験上こうです。
どちらが、説得力ありますか?
まぁ、Bでも人によっては説得力あるでしょうけどね(笑)
例えば、その道●●年のベテランとか、人間国宝級の経験者みたいな。
ただ、コミュニケーションの相手がパンピーの場合、その人の経験上なんてちんけなものよりちゃんと数値的根拠に基づいた見解の方が説得力ありますよね。
皆さんは我々のようにならないよう、冷静に行動してくださいね。