世界に誇る日本の映画監督は若い頃美大に落ち、それでもプロレタリアートを描き続ける画家志望でした。

しかしいつまでも芽が出ないことと兄の自殺を機に仕事を変えることを決意しました。彼は自伝でこう語っています。

「いつまでもぶらぶらしている自分が歯痒かった。しかし、画家として生計を立てていくのは困難だったし、私は自分の画家としての才能にも疑問を持ち始めていた。」

そして彼は映画会社の門戸を叩きました。