政治家
勝海舟はオランダ語を習得するために、蘭方医として名高い赤城玄意を訪ね、日蘭辞書を1年間貸してくれるように頼みました。当時辞書は非常に貴重なものだったので赤城は貸すのを躊躇いますが、勝は次のような提案をしました。
「辞書を二部書き写して、一つを自分用にもち、もう一つを別の人に売ってそのお金をお渡しします。」
この話を聞いて赤城は快く辞書を貸し出しました。その数なんと全53巻!それも2部書き写す必要があるため辛い作業でしたが、こうして勝は辞書を手に入れることができました。
勝海舟は坂本龍馬の師匠としても有名な人物です。
神戸海軍操練所を作り、その塾頭に坂本龍馬を据えたり、幕臣でありながら幕府の瓦解をいち早く察知し、江戸城無血開城をしたりとなかなかのツワモノです。
ただ、生涯を通じて大風呂敷を広げがちな人物だったようで、その言説に疑わしい部分がないとは言えないようです。
当時のような時代の転換期には勤勉さよりも時流を読んで立志するような人物像が必要だったのかもしれません。
ちなみに、この神戸海軍操練所は徳川家茂公の命によって作られた幕府の持ち物でしたが、勝が幕府の瓦解を予感していたように、その下につく者も幕府の瓦解を予感し、脱藩浪人に同情的だったため、幕府から「反幕府的な色合いが濃い」と指摘され、慶応元年(1865年)3月9日に閉鎖されました。
その志は龍馬が操練所の仲間たちと作った「亀山社中」に引き継がれ、倒幕の礎となっていきました。