赤穂藩家老

江戸時代、播磨国の商人たちは、城主に何度も製塩業の申請をしましたが、一刻に許可が下りませんでした。そこで家老の大石内蔵助に頼んでみたものの、一向に音沙汰がありません。ところが10年経ってようやく製塩の許可が下りました。商人たちが理由を聞くと大石はこう答えました。

「塩を焼くには大量の薪がいる。播磨の山は木が少なく、製塩を始めるとすぐに坊主になってしまう。だから苗木を植えた。そしてようやく木が育ったので製塩を許可したのだ。」

平素は昼行灯とあだ名がつくほど批判されていた大石ですが、実はしっかりと民の声を聞き機会を待っていたのでした。