後家鞘梅太郎の本棚

The library of Umetaro Gokezaya

年別: 2022年

小さなことこそ全力で(円谷英二 1901-1970)

特撮監督 ゴジラやウルトラマンを作った特撮の父・円谷英二はどんな些細なことにも手を抜かない人物でした。ゴジラを撮影する際には、当時の映画はモノクロだったのにも関わらず、「ゴジラの口の中を赤く塗れ」と指示を出したことも出し […]

滅私(二宮尊徳 1787-1856)

農政家 二宮金次郎として知られる二宮尊徳は自分の元を旅立つ使用人にこんな教えを残しています。 「もしお腹が空いた時、どこかの家に行って「お腹が空きました。ご飯を一杯いただけませんか?」と頼んでもご飯をくれる者はいないだろ […]

自分のサイズを知ろう(千利休 1522-1591)

茶人 ある日、千利休の茶会に招かれた人が離宮の茶杓を見て感心しました。利休の使っていた茶杓は普通のものより少し短く、オシャレに見えたのです。後日、その人が利休を茶会に招くと、利休は茶杓が少し短いことに気づきました。それを […]

目先の利益を見ない(福沢諭吉 1835-1901)

教育者 福沢諭吉が講演を終えて上野駅に着いた時、お腹も減って疲れていたので、みんなで人力車に乗って帰ろうという話になりました。しかし福澤は 「もう用事も済んだのだから急ぐ必要もないでしょう。」 と歩いて行ってしまったため […]

待つのも仕事(大石内蔵助 1659-1703)

赤穂藩家老 江戸時代、播磨国の商人たちは、城主に何度も製塩業の申請をしましたが、一刻に許可が下りませんでした。そこで家老の大石内蔵助に頼んでみたものの、一向に音沙汰がありません。ところが10年経ってようやく製塩の許可が下 […]

耳に痛い意見にヒントがある(ハワード・シュルツ 1953-)

スターバックスコーポレーション最高経営責任者 ハワード・シュルツは、コーヒー豆の小売店だったスターバックスをカフェ事業に転換して成功した人物です。シュルツのコーヒーに対するこだわりは徹底したものでした。しかし、ある時スタ […]

ひとつ余分に頑張ろう(勝海舟 1823-1899)

政治家 勝海舟はオランダ語を習得するために、蘭方医として名高い赤城玄意を訪ね、日蘭辞書を1年間貸してくれるように頼みました。当時辞書は非常に貴重なものだったので赤城は貸すのを躊躇いますが、勝は次のような提案をしました。 […]